■■うちの父親の一族(2001/10/19)

最近、「狂牛病」が世間を賑わせている。
「検査した牛肉を売るから大丈夫」と言っているが、「検査する前に屠殺した牛肉の検査はできない」と聞いた。(↑ただし、この情報は不確かなので、他所で言わんように。)ということは、「検査済み牛肉」と「不確かな牛肉」が同時に売られることになる。やっぱり危険である。うちの家族は、心配性なので、しばらく牛肉を食べていない。(私もできるだけ食べない。特に私は運の悪い人間だからだ。)しかし、先日、父親が知人から「牛肉」をもらった。父親は、その足で自分の叔母(90歳?ちょい上)に、その牛肉をあげに行った。

叔母「うわー!これ、お肉やないの、私はお肉、食べへんようにしてんのに。」

父親「いや、狂牛病やったら大丈夫やで。狂牛病は、発病するのに食べてから3年から8年かかるらしいで。せやから、発病しても、もうその時は普通にしてても足腰たってへんから、大丈夫。」

・・・・ようそんなこと言うなあ・・・。この話をあとで聞いて、うちの家族は、全員、父親にたいし、

家族「それはアカンやろ。それやったら、その時分には、生きてないて言うてるに近いがな。せやけど、“発病するまで生きてない”てよう言わなんだなあ。」

父親「あー、俺も言いかけたけど、向こうが先手をうって“私は100才まで生きるからなあ”て言うてたから言わへんかった。」

・・・すごい一族やなあ・・・。
追記:この父親の叔母(通称「きーちゃん」)は、先日亡くなったおじいさんの姉である。おじいさんは、よく、「きーちゃん(叔母)の葬式は僕が出してやらないかん」と言いながら先に死んだ。
・・・・世の中ってわからんなあ。

■■長崎の有名喫茶店「アンデルセン」(2001/10/21)

文華兄の仕事で、しばらく(?)長崎に行って来ました。
長崎には「アンデルセン」という、九州では有名な喫茶店があります。そこは、「サイキックマジック」の“ショー”が行われ、「すごいショーらしい」という口コミで伝わり、いっつも満員のようです。文華兄と私は午前11:45頃にその店に入店した。“たまたま”予約が2人キャンセルあったので、入店できた。
・・・入店するのに普通は朝の6時頃から整理券をもらいに行列ができるそうである。(よほど“すごい”のだろう!!)文華兄と私は若いアベック(博多からわざわざ来た)の席に相席させてもらった。(30人ぐらいの小さな店だが、満員。)そのアベック(彼らも初めてとのこと)に聞いたところ、ショー&喫茶は、「第1回10:40、第2回3:00、第3回夕方(何時か不明)」の3回公演で総入れ替えのようである。そしてショーの1回目は、まだ始まっていないらしい。我々が入店してメニューをもらったときに、アベックのコーヒーがやっとテーブルについた。
・・・注文したものが1時間経って来るのか!!どんなけ待たすねん!大丈夫か!周りをよく見るとすでに「討ち死に」してる(寝てる)者が多数いた。そして注文をとる店の奥さんらしき人が、非常に無愛想である。顔は、やや白いと言うより青ざめていて、どちらかと言えばむかついてるのを我慢している感じである。
言葉も簡略で、

1.入店時、整理券(別の店で配布される)を渡すとき:「いらっしゃいませ」ではなく、「はい」(しかも無愛想に)と整理券を受け取るだけ。

2.メニューを渡すとき:「どうぞ」もなく、「・・・・」(無音)

3.“ショー”はカウンターでするので、その前にお客さんを3列に整列させる(イス席/立ち見/イスの上で立ち見)のだが、その時:整理番号が○番の人はここでお願いします」ではなく、「○番からー!」(←めっちゃダルそうに)

↑この奥さんは絶えず、こんな調子で笑顔など微塵もなかった。(・・・私ですら「客商売やろ!」とつっこみたくなった。)
メニューには、「少しでもショーを長くするために、赤印がついた品物を注文するようにしてください」とあった。・・・文華兄「ほな注文したらアカンやつ書くなよ」我々の注文したものは比較的はやく30分ほどで来た。注文したものも飲み食いして待つこと1時間半(アベックは2時間半)、“ショー”が始まった。(午後1:15開演である。)確かに「マジック」の腕は凄かった。物が手の平で動く、お客の書いた絵(どらえもん)と同じような絵を財布から取り出す、お客とその家族の名前・生年月日を当てる、タバコでコインを貫通させる・・・etc.
「ごまかし方」=「どこですり替えてるのか」は皆目わからないという、凄さである。しかし、途中の小ギャグ(ウケない)はともかく、訳のわからん宗教家みたいな説教は、くだらないにも程があった。しかも内容が時折「自分が超能力者」のようなコメントまで出る。
・・・おいおい「マジックショー」て店に書いてるがな!!
しかし、文華兄と私が二人で爆笑したのがあった。主人(マジシャン)の「脈を見るだけでウソ発見器の代わりができる」というやつである。(まあこれは、マジックと言うより、訓練に近い技法なのだろうが。)
主人は、老紳士(70前後)にトランプを選ばせ、数字を記憶してもらう。主人はもちろんその数字を知らない。主人は老紳士の脈を取りながら、
「私が数字を順に言っていきますから、あなたは全て“いいえ”で答えてください。」

老紳士が引いたカードは「9」だった。

主人 「1ですか」

老紳士「いいえ」(首振り付き)←即答

主人 「2ですか」

老紳士「いいえ」(首振り付き)←即答

この後、3,4,5,6,7,となっていくに連れ、即答ではなく「妙な間」が出来てくる。
・・・もうこの時点で「正解」は近いと私でもわかる。そしてついに!!

主人 「数字は9ですか」

老紳士「はい」

・・・おいおい、それでは手品になれへんがな!!自分で言うてどないすんねん。この時、老紳士は「即答」で、しかも「たての首振り付き」だった。でもマジックの腕自体はすごいなあと思ったが、あまりに待たせすぎである。それと「おもろない説教」を何とかしてほしかった。無愛想な奥さんは、まだいい。私は、あの奥さんには好意的である。多分、あの奥さんは、マジックの手伝いを色々しているのだろう。奥さんは、こんな事を思っているに違いない・・・
「ホンマにこの人(主人)は、アホなことばっかりして。何で私が、お客の書いた“どらえもん”真似して書かなあかんねん!」
「お客も、こんなん見に、遠いとっから朝の6時から見に来て、アホちゃうか!」
「こんなんの何がおもろいねん!私は、みなタネ知ってるわ!!」
多分、後ろの台所で奥さんは、お客さんが紙に書いた生年月日をモニターして主人に知らせているのだろう。きっと奥さんは「もう!!毎日、毎日!!」と怒ってるのかもしれない・・・。
・・・アンデルセンの奥さん、がんばれ!!

■■鼻(2001/10/23)

私は「鼻」が悪い。
重度のアレルギー性鼻炎である。絶えず、鼻がグズグズしている。症状としては、「年中花粉症」みたいなものである。体温の変化や空気の状態などで、すぐ大きなクシャミなどが出る。落語の「くっしゃみ講釈」どころではない。だから私は「くっしゃみ講釈」のまさに“くっしゃみ”部分はあまり笑えない。それは決して「不愉快」だからではなく、「日常すぎる」からである。落語の“くっしゃみ”ですら、「オーバーだ」とは思わないほど大きなクシャミが日常なのである。
(「くっしゃみ」を我慢して、鼻が「ふ〜ん」となる所は笑えるが・・・。)
ちなみに、師匠の家に毎日通っている時、「アレルギー性鼻炎ですんで、年中“花粉症”みたいなもんです」と言うと、師匠(笑福亭福笑)は、「そんなバカなものはない!」と私を一括した。(そない言われてもなあ・・・という感じである。)そう言えば、米ニ師匠は「そばアレルギー」でそのことを米朝師匠に言うと米朝師匠は、「そんなバカなものはない!」と一括したそうである。(ほいで米ニ師匠は、実際食べさせられ、エライ事になったらしい。)
またうちの師匠(笑福亭福笑)は、時折、こんなことを言う「自分が花粉症やて言うのが、ファッションと違うのか?」
・・・どんなファッションや!
まあ師匠は、「ウソの花粉症患者がいる」とまで思うぐらいなので、私のアレルギー性鼻炎(ある意味、年中花粉症)などは、信じられないのである。師匠は、「少なくとも“春の花粉が飛ぶ時期”に発病するはず!」という信念をもっているのである。耳鼻科のポスターには、
「春に花粉を出す植物」「夏に花粉を出す植物」
「秋に花粉を出す植物」「冬に花粉を出す植物」
が紹介されてんねんけどなあ・・・。
長崎に行く前にも耳鼻科に行った。しかし、いつでもそうなのだが、耳鼻科の道具、あの「鼻の穴に突っ込む掃除機」は、異常に痛い!!・・・歯医者の比ではない!! おそらく、“史上最痛”の医者は、歯医者ではなく、耳鼻科だと思う。金属でできたストロー状の掃除機を、鼻の穴へつっこみ、
鼻の“奥”にある「膿」を吸い込み、掃除するのである。(ちなみに、その音は「シュー!!」と言う・・・。)私はあまりの恐怖に鼻に掃除機を突っ込まれると、動いてしまう。すると医者は決まって「動くから痛い」と言う。どう考えても「痛いから動く」のだが・・・。10月の初め頃から異常に蓄膿ぎみだった。(最近の花粉症・アレルギー性鼻炎は蓄膿も併発するようである。)本当に苦しいので、耳鼻科に行くとその膿をとるべく、いつものように「掃除機の刑」に処せられた。まず右の鼻に掃除機を突っ込むと、あまりの痛さに私は動き、「グアー!!」と叫んだ。それでも耳鼻科は、容赦せず、掃除機をさらに突っ込んだ。もう耳鼻科で、体裁を省みず、私は絶叫して泣きじゃくった。
「グァア゛ア゛ア゛ア゛〜〜!!!オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛〜〜ゥ!!」
やっと医者は、掃除機を取り出し、私に「動くから痛いんや!!そんなことしたら(動いたら)よけ痛いで。」と私を叱った。
マジで「叱った」のである。「スンマセン」の一言もなく・・・。そして「動いたら痛くない」と断言し、看護婦に私の頭を固定させ、左の鼻に掃除機を突っ込んだ。今度は痛くなかった。
医者は「ホラ動かなかったら痛くないやろ」と言ったが、掃除機の突っ込みようが浅かったように思われる。右の鼻は、それ以来、妙に痛い。鼻の付け根の骨にキズがいってるかもわからん・・・。今でもイターイ!!誰か助けてー!!そしてこの日曜日、長崎から飛行機に乗って帰ってきたのだが、(行きは何ともなかったにもかかわらず)帰りは、この“蓄膿の鼻”によって死にそうになった。飛行機が上空から伊丹空港に近づき、高度を下げだした。すると、顔面が「ビリビリビリビリ!」と震え、激痛が走り出した。イメージでは(実際は別として)、鼻の内部(眉間の皮膚の下あたり)では、蓄積された膿が鼻の穴を完璧に(少しの空気も通さず)ふさいでいる。そこへ気圧の変化(周囲の空気が、体内よりも圧力が高くなる)で、周囲の空気が鼻の穴へ押し寄せてくる。すると、
鼻の内部の膿が、空気に押され、どんどん、どんどん奥へ入る。膿が、デコの下、目の下、耳の穴へと無理から入ってくる。それゆえ、その付近の骨がきしんで顔面が痛い!!しかも耳鼻科でやられた右鼻の奥が妙に痛い!!きっと耳鼻科でキズつけられた鼻の内部のとこにも膿が入って来ているのだろう。
↑まず、間違いはない!!私は飛行機で悶絶していた。
降下途中なので(誰も立ちあがれず)、スチュワーデスにも言えない。声は出さないが、体をうねらせた。私が悶絶して苦しんでいるにもかかわらず、横のオッサンは「週刊ポスト」を熟読していた。助けてくれー!!
私は機内で悶絶しつつ思った・・・「このまま鼻の膿が頭蓋骨を圧迫して死んだら、なんてマヌケ死に方なんだろう・・・。上方落語史のお笑い種になるような死に方ではないか!!なんとかならんのか!!グオ゛〜〜!!」
しかし本当にこれで死んだら新聞沙汰になったかもしれない!!「上方落語家、飛行機内で、蓄膿で死ぬ!」(五段抜き)
・・・すっごい恥ずかしい!!降下中、まさに“激痛”である!!右鼻の奥からデコの内部にかけて、針金を突っ込まれて上下振動させられているかのようである。なんとか無事帰宅できたが、私はその後遺症でまだ鼻が痛い。明日は、かならず耳鼻科に行こう・・・違う耳鼻科へ。

■■トイレ(2001/10/23)

人生において、大小に関わらず、最も“不幸事”がおきる場所は、「トイレ」だろう。
自分が、トイレットペーパーを交換するハメになったとき、「なんて貧乏クジをひいたのだろう!」と思うし、またその前の使用者に対して「なぜ、ほんの少しだけ紙を残し、出たのか?!」と恨んでしまう。
・・・本当にムカつく。
なぜ、「代えの紙」もないことを知りつつ、補充しないのか?!しかも最初から「紙がない」ことを知れば、それなりの対処や心づもりもできる。紙を取りに行けるし、トイレに入る前に大きな声で「お母さーん!紙がないー!!」と要求もできる。にもかかわらず、「紙を少しだけ残す」という行為のために自分が用をたすまで「紙がない」事実がわからないのである。これは、1つの不幸である。このとき、トイレからいったん脱出して紙を取りに行かねばならず、またその際に他者に下腹部を見られないようにせねばならない。しかも、普通にパンツとズボンを履いては衛生に悪い!!結局、パンツは上げるものの、お尻とパンツは密着しないように微妙に空間を空けて履き、ズボンは前のベルトをしめずに柔らかく履く。そしてややカニ歩きのような格好で、大股で紙を取りに行かねばならない。しかも手も洗えないので、手を使うとこは、指でつまむなどの、細心の注意を払わねばならない。しかし、この「少しだけ紙を残す」というのは、自分を納得させる巧妙な行為である。「紙があるから、私は交換しなくてもよい」ということで、自分の義務を怠慢しているのである。人間としてどういう神経をしているのか・・・。しかし、このトイレの不幸は、私の家庭での事件である。いったい誰なんだ!!
(容疑者は私を除いて、4人しかいないのだが・・・)
他の家でもこのような事件が起きているのだろうか?
追記:このトイレの紙の補充だが、(特に「ほんの少しだけ紙が残っている」バージョン)どうして俺の時だけなのだ!!家族がおそらく交換すべき回数と私が交換する回数は、限りなく、等しいと思う。私は異常にトイレットペーパーの交換をさせられている!!ほぼ宿命的といっても良いほどに!!しかもこの「宿命」は他人の家でも起こる。私が他人の家で「大」を催したくなるとき、たいてい、前任者が「ほんの少しだけ紙を残す」行為をしているのである!!もうなんとかしてくれ!!「あとちょっと」と思ったら使い切って、補充しろ!!

■■落語研究会(2001/10/24)

落語研究会のことを“落研(おちけん)”という。
アマで落語をするクラブ(特に学生)のことである。落語家(プロ)になってから落研(アマ)時代と「自分が変わった」と思うことは、色々ある。ただ、これは「笑福亭たま」という一個人に当てはまることであり、他の落語家はどうかわからない。
その変化の一つに稽古(ネタをくること)が、やや苦痛になったことである。(完璧に「苦痛」ではないが・・・。)アマ時代は、そのネタを稽古すること自体、非常に楽しかった。まあ自分のやりたいネタだけをやるのであり、しかも「仕事(絶対笑わす)というプレッシャー」が、少ない。もちろん、そのプレッシャーがない訳ではないが、私の場合、
「最悪、自分が楽しけりゃあよく、その楽しさを共感してもらう」といった感じだった。
・・・まさに「アマチュアの神髄」であろう。
今でも「落語は好き」というのは変わらないが、どこか「仕事」の感がある。やはり「仕事」になると違うのだろう・・・。きっと熱心な切手コレクター(50円切手をさわるだけで嬉しがる人)も郵便屋さんになると、「切手をさわって嬉しい!」感が減るのかもしれない。きっと野菜好きの農学部の学生も、お百姓さんになると、「レタスを作って嬉しい!」感は減るのであろう。「日曜大工」は楽しいけど、大工さんは、自分が作りたくない家もつくらなければならい。(九雀師談)「落語は好きだが、落研のときと何かが違う!」感は解消できないのだろうか・・・そう思っていたある日のことこごろう兄がある落語会の打ち上げにて

こごろう兄「「俺、落研つくりたいぐらい、落語好きやねん。落研つくりたいわー。みな、それぞれがやりたいようにやるねん。誰も何も否定せんと、皆で“それおもろいなー!”言うて落語すんねん。これはおもろいで。だってプロが落研すんねんから。」

私も大賛成である。

たま「ほな発表会もするんですか?」

こごろう兄「もちろん。」

たま「それ、すっごいおもしろいですねー。落研やから入場無料の発表会ですね。それにアマチュアでするからやりたいネタ、好きなように出来るんですよねー。落研やから、誰の許可もなく、どんなネタでもしてもええんでしょ、ホナ“立ち切れ”とか“地獄八景”とかやってもええですよね。米朝師匠に許可もらわんでも何やってもええねんや!落研やねんから!!“地獄八景”でも“立ち切れ”でも!!」

しかしこれについて、こごろう兄を始め、同席者の賛同は得られなかった。「そんな怖いことはできない」とのことである。どうやらまた“暴走”したようである。噺家がつくる「落研」てでけへんのかなあ・・・。きっと「もっと楽しく」できると思うのだが。ただ「自己満足」のほうを充実させるだけなんだろうけど・・・。
■■イヤの言葉(2001/10/28)

他人に言われてイヤな言葉は、人によって違います。
私の場合、小さいころから知ってる近所のおばはんのコメントで、「また落語会あったら言うてな。見に行くから。行って“サクラ”で笑たるわ。」
・・・なめてんのか!おもろなかったら笑わんでええねん!!どういうことやねん!!見に来んな!!ある先輩落語家A師の「言われてイヤな言葉」は、「この店来たら、必ず売れる(有名になる)ねんでー」だそうです。
・・・しかし、このコメントを聞くこと自体、ごっつい「芸人」になった気がするなあ・・・。(「売れてない」ので「芸能人」ではない!)私は今年になってやっとこれを聞くことができましたが、これを今年聞いたというのは、早いのか遅いのか・・・。しかし、まさに「場末」といった感じがするでしょ。
ある先輩落語家B師は、
「落語はテレビ向きでない」という考えをもってますが、その先輩は、落語会で爆笑させた後、お客さんに「おもしろかったわー。兄ちゃん、早よテレビ出えや」と言われて無茶苦茶ムカついたそうです。そう!この方の嫌いな言葉は、「早よテレビ出えや」なのだ。多分、この方にも「この店来たら、必ず売れるねんでー」て言うたら怒るやろなあ・・・。
多分、噺家になって最もよく聞いたコメントは「ええ!アンタ、落語家?!ホナここでやって!」であろう。さて問題です!!
「ここでやって」と言われて私が何かをした回数は何回でしょう。この「何か」の具体的内容もちょっとお考え下さい。

追記:私に対してアンケートでたまに見かける内容にこんなんがあります・・・、
「うるさい。声の大きさではなく、もっと落語の腕で勝負してほしい」
■■聴力(2001/10/29)

人間の聴力と言うのは、あやしげなものである。
ニュースで、アナウンサーは私に、↓こんなふうに語りかけることがある。
「今日、○○市のコンビニでメザシボウをかぶった男が、店員に出刃包丁を突き付け、現金2万3千円を奪い逃走しました。」
・・・“メザシボウ”って何?文脈からして、「頭にかぶるもの」であろう。“ボウ”は、もちろん“帽”だろうが、“魚のメザシ”ではあるまい。“目指し帽”であろう。目の辺りに“指す”帽子?・・・ということは、サンバイザーか?それは逆に目立つだろう。ホナ野球帽を目の辺りまで深くかぶるということか?
しかし、新聞やインターネットのニュースの「文字」で見ると、“メザシボウ”ではなく“目出し帽(メダシボウ)”だった!!どんな帽子かと言うと、(読者諸氏は知ってるのかも知れないが・・・そら知ってるか!)靴下の大きいやつを頭からかぶって目の辺りが見えるように穴があいている帽子である。目出し帽は、目だけがあいているものだけでなく、口があいているものもある。まあ、プロレスのミル・マスカラスみたいなやつです。
そうだったのか!!謎は全て解けた!!
「メザシ帽」ではなく、「目出し帽」だったのかあ!!ちなみにインターネットで調べると、「目立ち帽」と思っていた人もおりました。こういうのは、ちゃんと教えてくれなくっちゃ〜。(誰が教えんねん。)人間の聴力というのはホントあやふやなものである。(私だけか?)ちなみに、「武富士」のCMで、ジャズダンスのはじまりは“Let' go!!”らしいが、私には、なんべん聞いても「バチコォッ!」に聞こえる。
(「空耳アワー」やね。)

■■ある先人のコメント(2001/10/30)

今日は、ある先人の言ったコメントを紹介します。
もうだいぶ前に死んだ人なので、著作権は無いんと違うかな????まあその言葉ズバリではなく、私が感受した内容で紹介させていただきます。

1.“力”について
私はこの話を読んで(知って?)、驚き、大笑いしました。例えば、今日、「どうして物が落ちるのか?」の答えは、「地球に重力があるから」である。学校(科学?)ではそう習う。つまり、この問答を言いかえると、「どうして地球は、物体を引きつけるのか?」「それは地球には、重力(地球の引力)と言って、物体を引きつける力があるからです。」となる。多分、ほとんどの人がこれを聞いて納得するだろう。(ホンマにするんかな?まあ少なくとも「学校」的にはそうだろう。)
だが、しかし!!
実際は、何かの“原因(の説明)”として、「力(能力)によって」という答えは、おかしいのである。なぜなら、↓この問答をみればわかる。「どうして睡眠薬は、人間を眠らせるのか?」「それは睡眠薬には、“催眠力”と言って、“人間を眠らせる力(眠らせる効能)”があるからです。」
・・・なにも答えになってないではないか!!
「問題」を反復しているだけである。「Aが〜できるのはなぜか?それはAに〜する力があるからです」ではアカンやろ!!我々は今まで何を習ってきたんだ!! さっきまで納得していた問答をもう一度みてみましょう。
「どうして地球は、物体を引きつけるのか?」「それは地球には、“重力(地球の引力)”と言って、“物を引きつける力”があるからです。」
・・・さあ!!これであなたも、この答えに納得いかなくなったでしょう。これでは説明になっとらん!!おんなじ事言うてるだけやないかぇ!!つまり、科学は、因果関係を説明するのだが、その究極として、「力」によって全て説明した気になっているのではなかろうか!!
(まあそんな結論は、どうでもええねんけどね。)

2.「愛」とは何か?(もちろん、恋愛感情の「愛」)
・・・すっごいテーマで、色んな解答があるんでしょうが、私的に「非常に納得!」という定義を紹介致しましょう。(これも同じ“先人”のコメントです。)
「愛とは、他者に対して抱く関心で、その関心の理由(根拠)が、全くわからないような関心のことである。」
つまり、ある人のことが気になるが、その「気になる」理由を列挙しようとしても、列挙できない場合、その人を「好き」だということです。
具体的に言うと、「えーっと、あの人のこと、すっごい気になるんやけどなあ・・・。別にあの人のこと、ムカついてる訳でもないし、憎んでる訳でもないし、尊敬してる訳でもないし・・・。怒りでも同情でもないし・・・・。なんで私はあの人のことが、こんなに気になるんだろう・・・・、そうか!!私はあの人を“愛しているんだわ”!!」
・・・皆様、「なるほど!」と思って頂けたでしょうか?(まあ私個人が納得しているだけなんですけど・・・。)私はこの話を読んだとき、爆笑したのですが・・・。言うときますけど、「宗教」じゃないですよ。
さて問題です!!この「先人」とは、一体、誰でしょう?

■■ジャズコンサートでの携帯(2001/10/31)

先日、九雀師匠に、北村英治氏のジャズコンサートに連れてってもらった。(←九雀師匠からチケットを頂いた。)
北村氏は、日本一と言われるクラリネット奏者らしい。雰囲気は、ちょとクラッシックだった。
落語会では、「携帯電話の電源を切るように」の注意は、開演前のアナウンスや、最初の演者のマクラでする。しかし、音楽ホール(?)では、そのような事は、無粋なのであろう、異なる注意方法をとっていた。2or3人の制服を着た女性が、「携帯電話の電源はお切りください」と記されたボードを客席で見せに回っていた。(その間、笑顔で、なぜか無言。)ほとんど、ラウンドガールのように歩いていた。
・・・「ぐるぐる回り歩く」という意味の「ラウンド・ガール」か?しかし一体どうして何も喋らないんだ?!!よけ不自然やろ!!
彼女達は、客席の1人1人に「無言の笑顔」の圧力をかけていた。本当に1人1人の顔を見て、ボードと笑顔を見せた。いちいち写真のポーズを取るかのような振る舞いだった。
これを見て、

九雀師「新手の手法やな。これは使えるかもわからんな。今度つかおかな。」

まあ「なぜか漂う高尚な雰囲気」をぶち壊さないための注意方法であろう。私も「これは効果的だろう」と思った。そして開演。メインの北村氏が登場して、「ご来場、ありがとうございます」の第一声直後、“ピピーピピーピピー!!”
・・・いきなりやがな!!いきなり鳴らすなよ!!全く「ラウンドガール」注意法は効果が無かった。
北村氏が「どなたか、携帯鳴ってますよ。大丈夫ですか?」と言うと、携帯を鳴らしたサラリーマンは、携帯を持って喋りながらホールから出ていった。(何すんねん、こいつ!!)まあどんな演芸(?)でも、携帯は鳴るんだね〜。

■■違和感(2001/11/2)

微妙な違和感を感じる日というのがある。

1.友達が飲んでたジュース。
友達が、どっかのメーカーの特殊なミルクティ−(ボトル)を飲んでいた。ハーブか何かが入っているちょっと別の味がするミルクティ−である。

友達「ちょっとこれ、飲んでみー、何の味する?」

たま「・・・(ゴクッ)。うーん、わからへんわ。」

友達「懐かしい味するやろ?」

たま「えっえー??わからへんな。・・・(ゴクッ)。うーん、何かの味がするのはわかるけど、何かわからへんわ。」

友達「わかれへん? おかしいなあ、懐かしい味するやろ。これ、昔、家で作ったシャーベットの味するやろ?」

・・・そんなアンタの家で作ったシャーベットら、知らんがな!俺はそんなん食てへん!!何でわかんねん!ちょっとも懐かしないわ!!
私がこう伝えると、

友達「えっえー?!なんで??昔はどこの家でもお母さんが作ってくれんかった?」

たま「そんなん、聞いたことないわ!!第一、作ったとしても、家によって味は変わるやろ!!」

・・・どこの家でも、昔は、そんな特殊ミルクティ−の味のする
   シャーベットを作ったのだろうか???

2.テレビにて・・・。
番組は「ボーリング」をやっていた。
チラっと見ると、女性と男性が、同じレーンで勝負をしていた。(同じレーンというのが特殊らしい。どちらも外人で、プロ同士か?)女性が、見事にストライクをとった。
するとアナウンサーが、「おおと!!今のは完璧なストライクでしたねぇ。今のは完璧です。」
・・・完璧やないストライクてあんのか!?“今のは”をこない強調するとこ見たらその前に、完璧やないストライクを出したのだろうか・・・。

3.芸能ニュース
十朱幸代が「悪女について」という舞台をするらしい。
ニュースでは、注目は、十朱の七変化ならぬ“十二変化”。16歳から43歳までを演じ、女学生の姿から深紅のロングドレスまで12点の衣装を着替える。
・・・もうこの時点で違和感である!!十朱幸代て“58才”やろ、16歳・女学生はさすがに無理があるやろ!!まあええけど。
また、十朱幸代曰く、「180度違う役柄、衣装もすべて洋服ですので、今までのイメージとは別の姿を見ていただければ」とのこと。テレビ局の取材を受けるシーンでは金色に輝くロングドレスで登場。
十朱「いうなれば『ひとり叶姉妹』状態!」
・・・どういうことなのだ?!金色のロングドレスだからか?!!舞台が叶姉妹なのか?!しかも今さら「叶姉妹」というのもおかしい!!すっごい違和感である。
しかし、私はこう見えても十朱幸代が好きである。すっごいタイプの女性である。顔・体・テレビから想像する性格など、言うことないではないか!!十朱幸代さん、がんばって!!私のこの密かな趣味も、他人から見れば違和感を感じるかもしれないが・・・。
■■学校寄席(2001/11/2)

今日は、甲武中学校で「学校寄席」(芸術観賞会?)があった。
番組は、「時うどん」林家小染師匠、「平林」私の師匠・笑福亭福笑、鳴り物紹介、司会:笑福亭三喬師匠、三味線:林家和女師匠、笛:林家小染師匠、太鼓;笑福亭たま、「子ほめ」桂 春団治師匠
である。何と豪華な寄席なんだあ!!
よく考えると、一般の人は「学校寄席」に行ってみたいのではなかろうか?(落語ファンは特に行ってみたいかな?)楽屋にて春団治師匠が私に声をかけてくれた。(緊張の一瞬である!)

春団治師匠「君、着物の着方がおかしいよ。」

私は思わず心の中で叫んだ「ウレシィー!!」
・・・俺はアホか?!しかし、内容が何であれ、何か声をかけてもらうというのは非常に嬉しいものである。やっぱりそれぐらい雲の上の人なのである。また、最後に春団治師匠が高座に「野崎」(出囃子)で登場すると、生徒達は、まさにその「威光」にうたれていた。彼女ら&彼らは、その時、「へへ−!(お奉行様!!)」という感じでひれふしているかのように見えた。実際は、全員イスに座っているのだが・・・少なくとも、私にはそう見えたのである。
やっぱり春団治師匠はすごい!!