第二夜
■■本人はわかってても・・・。(2000/10/19)

本人はわかっても、他人には伝わらないということはよくある。
まあこの商売は、それをよく感じる商売だが・・・。そう言えば・・・という感じで思い出しだことです・・・。
私は高校時代、H塾で受験勉強していた。
そこにいた英語のA先生は、見るからに「優秀な博士」といった感じの人だった。
英語を教えてはいたが、見た目は「理科系」&「天才」&「宇宙人」といった先生だった。
ある時、この先生は、「vehicle」という単語の意味を教えようと生徒たちに絵を書いて解説したのだった。(ちなみにこの先生は絵を書いてよく教えていた。)
先生「じゃあ、vehicleの意味を説明しましょう。」
こう言いながら書いた先生の絵は、「最初にハエがバイ菌を足につけ飛びまわり、後にテーブル上のケーキにハエがとまり、太郎君はその菌のついたケーキを食べて病気になる」というものだった。(今から考えると、すっごい壮大な絵である。)
彼はその絵の状況を逐一言いながら、絵を完成させた後、生徒に向かって言った。
先生「じゃあ、これでわかりましたね。」
何でやねん!何がわかったんや!「vehicle」の意味はどこにあんねん!
生徒はこのコメントに唖然とし、突如「えっえー!」の雰囲気。
先生「あっわかりませんか。おかしーな。」
・・・おかしいのはお前や!(生徒の頭)
先生「つまりですね。バイ菌からすると、このハエは乗り物なんです。はい、vehicleの1つ目の意味は、『乗り物』なんです。そして、このハエは、バイ菌をのっけて病気を伝えてますね、そうです!媒体です!vehicleの2つ目の意味は『媒体』です。わかりましたね。」
なにが「そうです!媒体です!」や。
そんなもん、どうやって即理解できんねん・・・。
■■下記の算数の問題の答え(2000/10/19)

当日、前売の人数をそれぞれX人、Y人とすると、X+Y=50 1500X+1000Y=61500となる。
この連立方程式を解くと、X=23、Y=27
答え、当日23人、前売27人・・・・あ〜、このページってためになるぅ〜
■■これからの教育について(2000/10/17)

こないだテレビで、数人の評論家たちが(文部省の人もおったかな?)、「これからの日本の教育」について討論していた。
討論の方向性は「これからは一人一人の個性を伸ばす教育を!」みたいなものだった。
そこである女性評論家(女性教育者か?)が、「私だって、微分積分を習いましたけど、今は何も覚えていません。
それでもちゃんと生活できますし、何も不自由はありません。
学校で、台形の面積(の算出の仕方)がわからなくってもいいんですよ。
台形の面積がわからない事によって教室でみんなの前で恥をかかされるのは、おかしいです。台形の面積がわからないことが、そんな人間として恥ずかしいことなんですか!」と熱弁していた。
それを見て私は思いました。「台形の面積をよう出さんのは、やっぱり恥ずかしいやろ(?)。
それ人間としてはずかしないか知らんけど、日本人としては十分恥ずかしいんとちゃうかなあ・・・。」
また彼女の熱弁は続きました。「学者になる子と大工になる子が同じ勉強をするのは、おかしいんですよ。」
おいおい、大工になると決めた時点で、棟梁のとこに弟子入りするやろ。
その意思を持った時点で一緒には勉強せえへんやろ。それでも学校に来てる奴は、それをわかって来てるからそれでええんとちがうかな・・・。
学校は原則として「官僚・学者・エンジニアなどを作る教育機関」と文部省もひらきなおったらええと僕は思います。
だってそうじゃない「技術者」(大工・落語家など)は、そこを早く辞めて別の教育機関(棟梁・師匠など)にいけばええのです。
「個性」を求める人間は「自我」をもってるのですから、そいつらは勝手に自分の道を決めよる。
流されていくもんは、「自分の方針」がないねんから、そのまま大勢(たいせい)の教育機関でええねん。
また別の評論家(男)はこんなことを言っていた。
「世間一般は、足し算・引き算・掛け算・割り算みたいな「つり銭勘定」の算数だけ知ってりゃいいんですよ。」
そら寺子屋や!ほなもう「小学校2年か3年」でおわるやろ・・・。
ちなみに今の中学校ぐらいは必要なように思うなあ・・・。
こないだある落語会で、「客数の全体が50人、売上が61500円、 当日1500円、前売1000円だった。
さて当日、前売りの人数はそれぞれ何人でしたでしょう?」みたいなことはよくある。(解答は次回の「たま日記」にて。)みな受付で連立方程式を解いてることがよくある・・・。
落語家には少なくとも連立方程式を覚えさせなくてはならないのだ。
これからは、ぜひ内弟子期間中の必須科目にしてもらいたい。
落語家を目指す諸君は、ぜひ2次方程式ぐらいまでは予習してきて欲しい。(図形はテスト範囲から除きます。)
■■さとうきび(2000/10/17)

こないだ、沖縄土産で「さとうきび」をもらった。
見るからに「竹!」といった形状である。
食べ方は、説明書(?)によると、まず節の所で切って外側の硬い部分を包丁で切りとり、中の繊維状の棒みたいな部分(見た目はスナック菓子の「うまか棒」)を、ガシガシしがむというものである。
しがんでいると、大変甘い汁が出てきて、おいしい。
しかし、なぜか非常に「みじめ」な気持ちになる。
いや、悲しい気持ちになるといった方がいいかもしれない。
私はもちろん、戦争体験などしていない。にもかかわらず、戦時中を思い出すような悲しさを感じた。
文部省の皆さん、ぜひこれから小学校の給食では子供たちに「さとうきび」をしがませ、戦争の「悲惨さ」を伝え、非戦争教育に努めてもらいたい。
〜はだしのたまより〜
■■無学亭:六代目松鶴・孫弟子の会(2000/10/15)

今日は無学亭に初めてよせて頂きました。
落語会は大入満員の(立ち見まででる)大盛況でした。
その打ち上げでのことです。打ち上げは、大勢で、いつものごとく、あほな話で大いに盛り上がっていました。(それぞれが、さもネタを披露してはるようで、打ち上げは笑いが絶えませんでした。)話の流れで、インターネットの話になり、

銀瓶兄「たま君は、自分のHPを持ってるんですよ。」

たま「でもHP自体は、知り合いの人が作ってくれてるんです。日記だけは自分で更新できるようにしてくれてるんですけどね。」

銀瓶兄「ほな今日のこともHPに書くねんな。」

たま「いや、僕の日記は面白いことしか書けへんので・・。」

三喬師「ほな今日はおもろないんか!」

・・・まあこういうおもしろい(?)事態になると、書けるんですけどね。打ち上げの「本当におもしろい話」はやや「落語家向け」であったり、それぞれの落語家の「もちネタ」であるような気がするので、それについては掲載は、控えさしていただきます。(合掌)
■■ある日の食卓・ON対決(2000/10/15)

私自身、そんなに(プロ)野球に詳しくなく、さして興味がないのですが、私の父親は、もっとひどく、本当に何も野球のことを知りません。
ある日、私は野球のON対決についてちょと話をしようと、食卓で母親に話をふりました。(実はウチでは母親が野球に詳しい。)

たま「(プロ野球の)ON対決はすごいなー、ごっつい客入るやろなー。」

母親「そらすごいで。もうチケット完売らしいで。王でもチケット取られへんらしいで。」

たま「ふーん。やっぱりそういう優遇はあんねやろけど、王でもチケット取られへんぐらいすごいねんな。」

そこへ父親が横から、

父親「せやけど、王がチケット取られへんかったら、球場入られへんやん。ほな試合でけへんな。」

母親「あほか。王はチケットなんかいらんねん。あんたはしょうもない事言いか。」

(この父親のおやじギャグを私は聞き流し、会話を再開。)

たま「せやけどON対決は決まったけど、消化試合ちゅうか、野球の試合はまだあんの?」

母親「確かまだナンボかあったで。」

すると突然、父親がおもむろに我々に

父親 「なあ。せやけどあのー、王ちゅうのは監督なん?」

・・・・・あんたは今まで何の話をしてたんや!ON対決とか言うてたやん。
あんたさっき、王が球場入られへんかったら試合でけへん言うてたやん。
何でいきなりそんな根本的な質問やねん。訳わからんわ。
父親の頭が、どういう回路になってるのか、不思議に思う瞬間でした。
■■女の子はティッシュを使う・18歳未満は読まないようね。(2000/10/12)

中学校時代に私は、女の人がトイレで、大小に関わらず、ティッシュを使う事を知った。
それは、中学校での英語の先生(女性)との会話でである。

先生「トイレへ行くから、ちょっとティッシュ貸して。」

たま「えっ先生、ウンコすんのん?」

皆さんもご承知のように、小中学校では「大便をすることは、非常に恥ずかしいことをする」という価値観がある。
特に男子生徒間では、「大便をする」ことで、「ウンコたれ」の称号を得ることになる。
ちなみにアホな高校や大学では、まだこの価値観が継続して跳梁跋扈するらしい。
では会話の続きをどうぞ・・・。

たま「えっ先生、ウンコすんのん?」

先生「あほか。女はオシッコでもティッシュいんねん!」

たま「えっえー!そうなんや・・・。」

せやけど、この英語の先生(女性)も、そんなことを声高によう言うなあ・・・。
ある放課後のことでした。
■■女の子のカバン・18歳未満は読まないようにね。(2000/10/12)

カバンというのは、個人が持つ「秘密」が中に入っているよう気がする。
したがって他人のカバンの中身を見る機会のある時というのは、やっぱりドキドキするものである。
小学校時代(高学年)、私は、同級生の女の子が時折小さなカバン(ポシェット?)を持っていることに違和感を抱いた。
なぜなら、小学生は遊びに行くとき、遊びに必要なもの以外何も持たないというのが、普通だと思えたからだった。
今でこそ、女の人は、生理用品を使用する生き物であることを知っているが、小学校時代の私は、本当におぼこく、そんなことはつゆ知らなかった。(まあ同級生の女の子がそれをカバンに入れていたのか、ただ単にカバンを持っていただけなのかは、わからないが。)
しかし、直感的に女の子のカバンの中には、「男は決して入れないような何か」をカバンに忍び込ませているような気がしてならなかった。
当時私は、自分の知恵を振り絞り、ある結論に達した。(人間とは謎が与えられると、それに対する一応の答えを出さなければ、発狂する生き物である。)
「(同級生の女の子達=)あいつらは、きっとカバンの中にパンツを入れているのだ!」
だから、他人にそのカバンの中身を見られたくないのだ。
しかし、何のためにカバンにパンツを入れるのだろう?と思ったが、そこは「女性の神秘」として謎のままだった・・・。(パンツをカバンに入れるというのが、男に対するさりげないセックスアピールなのかとも一時期、思ったが。)
小学校時代、私は、女の子はパンツを持って歩いていると信じていた。
ちなみに、女性がトイレで大小に関わらず、ティッシュを使用するというのを知ったのは中学校に入ってからだった。(その話は次回の講釈で。)
■■金髪の女inミナミ(2000/10/12)

私の知人には、金髪の女の人がいます。(最近、黒い髪の毛の人をさがす方が難しい。)
その人から聞いた話です。
その金髪の女の人が、仕事帰り、ミナミ(難波・心斎橋周辺)を歩いていると、いっぱいホストから声をかけられて往生したそうです。
彼女は、次々とやってくるホストをかわすため、ある名案を思いつきました。
金髪女「そうだ!外人のふりをしよう。
あいつら(ホスト)はあほやから、英語喋ったら、びびってよう声かけへんやろ。“leave me alone!”とか“I can't speak japanese!”とか言うたらええねん、簡単なこっちゃ!」
思てるところへ、ホストがやって来て、「ねえねえ、まず飲みに行こっか。」
金髪女はすかさず言いました。「I can't speak english!」(私は英語がしゃべれません!)ほなそれでええねん。
日本人やがな・・・。
英語喋られへんねから。
金髪女が「しまったあ!」と思てるとホストは言いました。「うわ!外人や!英語喋ってる!顔は日本人やのに!」・・・おいおい、日本人や、日本人や。
「あほか、こいつら・・・」と思いながら金髪女は、ホストを後目に殺してズカズカ歩いていきました。
でも実はこいつも相当あほなのでした。
■■旅行に行っておもしろかった(2000/10/12)

最近、この不景気にもかかわらず、「旅行に行ってきた」てなことを言う人が多い。
俺は、旅行なんか、ここ何年もしたことないぞ!
まあ、せっかく旅行してきたと言うのなら、何かおもしろい話を聞きたいと思うのが人情である。
しかし、そういう旅行帰りの奴らのコメントは、ただ「おもしろかった」である。
確かに、学校の先生がよく作文で「何が、どうおもしろかったか書きなさい。」と言いますが、「おもしろい」という感情に「なにが?どう?」などという要素はないように思える。
しかし!「おもしろい」という感情を引き起こす原因(となる事件)はあるはずである。
私はそれを聞きたいのだ。
しかし、

たま「どうやった?」

旅行者「おもしろかった」

たま「何が?」

旅行者「わかれへん」

どないやねん!もっと何かないんか!
詳しく問いつめると、

旅行者「おもろかったことなー。そういうたら、海の中を歩いたわ、シー・ウォークちゅう奴。魚がよってくんねん。」

たま「ふーん、ほいで?」

旅行者「ほいでって、それで終わり。」

たま「どこがおもろいねん。

あんたの酸素ボンベの管をお母さんが踏んで息でけへんかったとか、そういうおもろい事件はないんか!」

旅行者「ないわ、そんなこと。」

最近は、当事者のみ、「おもしろい旅行」が流行ってるようで、留守居役にはその恩恵を与えないという「せちがらい世の中」になっているようである。
■■正しい言葉「さわる」(2000/10/12)

よく、日本語が乱れてるとか言われますが・・・。
「さわる」という言葉があります。(別に「やらしい」意味ではない。)ちょいちょい、あほな奴が「耳ざわりがよい」とか「目ざわりが心地よかった」とか言いよる。
まあ、「肌ざわり」「舌ざわり」とかと間違てんねやろけどね。
「肌ざわり」「舌ざわり」は「肌触り」「舌触り」やねん。「耳ざわり」は「耳障り」である。
「目ざわり」も「目障り」である。あほと違うか!
「障る」=「支障がある」⇒「不快」やのに、何で、「耳障りがよい」とか「目障りが心地よい」ねん!
「耳ざわり」「目ざわり」言うた時点で、そら不快やねん!
しかも時折、活字で「耳障りがよい」「目障りが心地よい」と見る。
おいおい、字で「障る」=「障害」て書いとるがな。「気づけよ、バカ!」て感じです。しかし、私もとっさに間違たことがありました。
あるギャグを先輩落語家A師が考えたんですが、それを別の噺家が使てんのを見て、

A師「あのギャグ、俺が作ったんやけど、あれは僕が作りましたて言うても、もうあかんかな(信じてもらわれへんかな)。」

たま「あっそうなんですか。でもこの間、兄さんやってはんのん覚えてますわ。あのギャグ、耳障りがよかって、覚えてますわ。」

A師「耳障り?」

たま「あっいや、耳障りやないですわ・・・ええっと・・・」

A師「今のは僕が耳障りや。」たま「こらまたえらい失礼を・・・。」