第四夜
■■阿か枝兄のソリッド(?)トーク(2000/09/26)

阿か枝兄さんは、舞台(特にマクラ)からもわかるように、絶対「感性」が異常だと思います(阿か枝兄さん、ごめんなさーい!ええ意味ですよ!)。
でもこの「感性」が異常であればあるほど、落語家として(多分、タレントとしても)凄いと僕は思っています。(僕ごときの後輩が言うのも失礼ですが、)阿か枝兄さんは凄い落語家なんです。
私は尊敬しております。
ということで今日は、私の大好きな阿か枝兄のトークの一端を皆様にご紹介いたしましょう。
ただ私の文章力ではそのおもしろさを確実には伝えきれないのが残念ですが、ほんの少しでも阿か枝兄の普段の雰囲気が伝わればと思います。
それでは、はじまり、はじまりぃー。(チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン)
《ある敬老会にて》阿か枝兄(座長)、林家和女姉、たまの3人のユニットで、ある老人ホームへ落語をしに行きました。
終演後、我々が舞台のソデにいてると、老人ホームの人が「御礼の花束をお渡ししたいのでもっぺん舞台へ出て来て下さい。」

和女姉・たま「ほなもう阿か枝兄さんだけ(舞台へ)行って下さい。今日の座長は阿か枝兄さんやねんから。私らここでいときます。」

阿か枝兄「いや、そんなん言わんと。2人ともおいでーや。」

和女姉・たま「そんなん、今日はお兄さんが座長やのによろしいやん。」

阿か枝兄「何を言うねん、今日は3人の金メダルやんか!」

※何の金メダルや・・・。 《ある落語会にてpart1》 ある落語会で阿か枝兄と私で受付をやってると、もの凄いべっぴんさんのお客さんが来ました。そのお客さんが入場した後、

阿か枝兄・たま「うわー、きれいな人やったですねー」

ある先輩落語家「今の娘、俺Hしたことあんねん。」

阿か枝兄・たま「えっえー!」 阿か枝兄「ほなあの女の人、Hされてるわ、お客さんとしても来てくれるわって、ええ人やなあ。せやけどあの人、“逆・ふんだりけったり”やな!」

※うーん・・・・・。

《ある落語会にてpart2》ある落語会で、阿か枝兄と私が受付をしていました。
その落語会の先輩が「ほな阿か枝、今日受付してくれるか」というコメントがあったので、1席目は私が楽屋で用事をし、阿か枝兄が受付を続行しました。
2席目、私はお兄さんと受付を交代しようと受付に行ってその旨を伝えると、阿か枝兄「いやもうええよ。“毒を喰らわば皿まで”言うし。」
※そうですか・・・・。

■■「相田みつを」本の本質(2000/09/24)

相田みつをさん(またその作品)自体はともかく、それを商業化した出版物であったり、それを買う人間に対して私はどこか「へん!」と思ってしまいます。
最近、相田みつをさんの影響を受けてか、路上で若者が色紙に訳のわかったような、わからんような文章をやや丸字気味(完全な丸字ではない、また楷書でもない)で書いたのを売っています。
「こんなん俺でも書けるわ!誰が買うねん!」て思てたら、結構商売になってるようです。
なんだかなあ・・・。売る方も売る方だが、買う方も買う方なのですが、この「商品」の「素晴らしさの本質(?)」にはどこか「うさんくささ」を感じざるを得ません。
なぜか・・・・。あなたはこんな光景を見たことがないでしょうか・・・。
それが私に「へん!」と思わす現実的根拠です。浮浪者(乞食・ダンボーラー)が路上でダンボールにマジックで「人生訓」を相田みつを的文字で書いて売ってる。
この光景を見たらストリートで色紙を書く若者に「お前らこの人らと同じやねんぞ!」って言ってやりたくなりませんか?(こないだは、そういう乞食の人の真横で若者が色紙を並んで売ってた。)
まあ「乞食の人と同じだからいけない!」という杓子定規的なことを言っているのではありませんので、あしからず。
でもこんな話もあります。「落語なんか聞きに行くって信じられないなあ。
笑うのにお金を出すってアホと違うか。
そない笑いたかったら自分で脇の下くすぐっとけ!」という考えの方・・・もっともでしょ。
ひょっとすると、私の意見はこの意見とたいして変わらないのかもしれませんが・・・。
最後に私もちょっと「相田みつを」をやってみましょう。

「道ばたのタンポポだけが 僕にほほえむ」

「だれだって 悲しくて 一人で 夜とおはなし」

「見知らぬ人の 小さな親切 こころにしみる」

「あなたの ココロのすき間を おうめします」

・・・・・アホと違うか!

■■相田みつをさんへ・もう死んでるけど(2000/09/23)

相田みつをさんのことをインターネットで調べてみたら、すでに死んではったんですね。
ごめんなさい、何も知らずに。色んな作品を残した人のようで、商業化は本人の意思と関係あるかどうかは不明なので(まあ少なくともトイレ用日めくりになってるとは思てないやろなあ・・・)、相田みつをさんにつっこんでも仕方ありません。それでもまあ制作者・製造元にはちょっと「?」をおくりたいけど・・・。
(おしまい)最後に、相田みつをさんのご冥福をお祈りいたします。(ひやむぎ)
■■相田みつを「トイレ用日めくり ひとりしずか」(2000/09/23)

今日本屋に行たら相田みつをさんの「トイレ用日めくり ひとりしずか」という本を見かけました。
相田みつをさんというのは、見るからに「ほのぼのとした字体」(山下清の習字版みたいな奴)で、いかにも「人々に感動を与える文章」を書いて、それを本にして売ったはる人です。本業がそれなのかは知りません。
私はあまり人生訓めいたものを理解できないほうなので、その字体がどれほど素晴らしく、またその内容がどれほど素晴らしいものか、わかりません。
ちょっと好奇心からその「トイレ用日めくり」を読んだので、少しだけ感想を述べます。
相田みつをファンの方、お気を悪くされたらごめんなさい。
洒落というか、それが僕の仕事なんです・・・。
えらい長い前置きですが、はじまり、はじまりぃー。(チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン・・・・)その「トイレ用日めくり」にはこんなん書いてました・・・。
「」が相田みつをさんの文章、()が笑福亭たまの文章。

「自信はなくて うぬぼればかり あーはずかしい はずかしい」(どこ見て言うてんねん・・・。あーはずかしい)

「親切という名の おせっかい そっとしておく おもいやり」(これはトイレットペーパーの三角折りのことかな。僕は三角折りされてると気色悪い。見も知らぬ人が触った紙であんましケツ拭きたない。)

だんだんページが進んでいくとこんな文章が・・・。

「あれも これも ほしがるなよ」「できない約束はしないことだな」(だんだんトイレと関係ないようになってるやん。)

最後の感動的文章はこれで締めくくられてました。

「一生燃焼 一生感動 一生不悟」(「一生不悟」て、そらお前や。あんた「私悟ってます!」てモロ言うてるやん。その割にそんなコメント・・・・。「一生不悟」て「不悟」はあんたやろ・・。)
■■楽屋芸人VSサラリーマン落語家(2000/09/22)

ある落語会の打ち上げでの会話。 主な登場人物:某師匠(楽屋芸人)、雀喜兄(サラリーマン落語家A)と私(サラリーマン落語家B)

たま「僕は、どっちか言うとサラリーマン落語家ですから、普段面白いことよう言わんのですよ。」

雀喜兄「サラリーマン落語家は僕や。」

たま「お兄さんのことを元々言うてはった言葉みたいですけど、僕もサラリーマン落語家なんですよ。」

某師匠「ちょと待て。サラリーマン落語家って何や。」

たま「舞台はちゃんとしますけど、舞台降りたら、普通の人になる落語家です。」

某師匠「ほな私らは楽屋でウケさすから楽屋芸人か。でもそんな舞台降りて普通の人間になるちゅうのは、芸人と違うで。」

たま「でも他の芸能と比べて、落語家は性質上サラリーマンっぽいと思うんですよ。これからサラリーマン落語家は増えてくると思うんですけど。」

某師匠「そらお前だけや。そんなんでは、舞台に“生きざま”が出ぇへん。」

たま「えっえー(笑)!?それやったら、サラリーマンには“生きざま”がないことになりますよ。」

周囲の人間(半笑いしながら)「あー、そうなるなあ。」

雀喜兄「実は、うちの父親はサラリーマンなんです。」

横の人「ほな“生きざま”ないわ。」

・・・人それぞれ「芸人とは何か?」のスタンスが違うものである。
■■ある女性Tに対する村上春樹的考察(2000/09/21)

私の女友達のTちゃんは少し変わっています。
私の言葉が通じないということがちょいちょいあります。
ちょっと別世界の人間なのかもしれません。
彼女と話していると、彼女は理解できていない雰囲気を出すことが多々あります。彼女を知る他の友人に聞いてみたところ、彼女はしばしば「私は理解不能です。
でも表だってはわからない素振りはしません。しばらく聞き流します」というオーラを出すようです。
彼女は、ひょっとするとたまにいてる、「私、新作落語は理解できるんですけど、古典落語は難しくって・・・」みたいな人間の可能性が高いです。
どんな頭しとんねん!てツッコミたくなる人物かもしれません。
ちなみに先日彼女に「・・・よう言うやろ、敵を知り、己を知れば〜」と言いかけたのですが、その時すでに理解不能オーラを出し張ったので、その言葉を飲み干し、「つまり、相手のことと自分のことをよく知らなあかんちゅうこっちゃ!」と言った自分が情けなかった・・・。
彼女のような人達はどんな言葉を操り、またどんな感性をしてるんだろう。
彼女たちの会話って、「直角三角形のサキッチョってかっこいいわね!」とか、「左手の小指って、どの指よりも舐めたら甘いよね!」とか、そんな言葉で会話してるんではなかろうか・・・・。
■■京都に行くと思い出すこと(2000/09/19)

京都に行くと高校時代の国語を思い出します。授業は芥川龍之介「羅生門」。
内容は下人(主人公)が「盗人になって生きるか、悪いことをせずにそのまま死ぬか」迷っていて、羅生門で死人の衣服をはぎ取る老婆と出会う。
初め、正義感から老婆を敵視するが、老婆の「悪いこと(盗人)でもしないと生きられない」的な内容の言葉を聞き、下人ははっとする。
今度は下人が老婆の衣服をはぎ取り、「こうでもしないと俺も生きられないからな」みたいな言葉を吐き捨て、京の町へと(?)消えていく。
こういう内容だったと思う。先生が同級生のM君に「この後下人はどうしましたか」と質問すると、M君は「おばあさんの服を売ったと思います。」・・・そらそうやねんけどなあ・・・・。
京都に行くと、いつも私は「おばあさんの服を売ったと思います」とまじめに答えるM君を思い出します。
※ちなみに私はこの話を大変おもしろいと思うのですが、これを今度の京都の落語会「Rakugode Run♪Run♪」(10/7)のパンフレットのコラムとして提出したところ、向こうのスタッフの方に却下されました。
・・・・この話、おもろないんかなあ〜。
(ちょっと不安)コラムとして陽が当たらないのもなんなんで、ここに掲載させていただきました。
僕的には「秀逸もの」なのですが・・・。ひねてるかな?
■■うちの父親のとぼけた話(2000/09/19)

うちの父親はだいぶおかしい人間なのですが・・・。今日またもや、うちの父親が私に北海道の土産話を聞かせようと色々しゃべりかけてきました。

父親「おい、向こは滅茶苦茶さぶいねんで。お前、カモ捕る話知ってるか?」

たま「ひょっとして、それ鎌と籠だけ背負たらカモが捕れるちゅう話とちがう?」

父親「そうや、何で知ってんねん!」

たま「落語や、それは。もともとあんねん。「鉄砲勇助」ちゅう話やがな。ひょっとしたら、向こうの嘘話を落語にしたんか知らんけど。」

父親「せやけどこの話のオチは知らんやろ、あのな・・」

たま「それひょっとして、“かもめ”になるやつちゃうの?」

父親「何で知ってんねん!」

たま「落語や、それも!」

父親「せやけど、話はホンマらしいで」

横で聞いてた母親「んなわけないやろ!!」
■■京都の作詞家のおっちゃん(2000/12/20)

先日、京都の鴨川の川辺で落語の稽古していると、すこし汚げなオッサン(「おっちゃん」というよりもむしろ「おっさん」)が、私に話しかけてきた。

オッサン「兄ちゃん、落語家?」

たま「はいそうです。」

・・・このとき、私は思わず、「しまった!もう少し、小声で稽古すりゃァよかった。変なおっさんに目ぇつけられた・・・。」と心の中で思ったが、オッサンにはとても愛想よく会話をした。

オッサン「へぇー、落語家さんなんだね。熱心だね。実は、私も落語家に知り合いがいてね。よかったら紹介したげるよ。その人なら、きっと兄ちゃんを弟子にしてくれるよ。」

・・・支離滅裂である。すでに私は『落語家』である。しかもこのオッサン自体、それを確認したはずである。何でまた新たに弟子になりにいかねばならないのか?・・訳わからん。

たま「いえ、結構です。」

オッサン「そう、私の知ってる噺家はね、天王寺に住んでるんだよ。よく知ってるんだけどね、親友なんだよ。名前は何だっけな・・・。」

・・・親友やのに、名前忘れるなよ。

オッサン「そうそう、思い出した!松鶴だ、松鶴!松鶴と私は知り合いなんだよ。今でもちょいちょい遊びに行ってる。」

・・・松鶴師匠なら、死んでる言うねん。(6代目も7代目も・・・。)
たま「そらそうと、おじさんは何をやってはるんですか?」

おっさん「私は作詞家でね。北島三郎の歌も作詞したことがあるんだよ。これが良い歌でね。ちょと歌おうか、チャンチャラスチャラカ、チャンチャラスチャラカ・・・(この「チャンチャラスチャラカ」ばっかりが2分ぐらい続く)」

・・・無茶苦茶、前奏が長い!しかも「チャンチャラスチャラカ」の部分は、『曲』であって『詞』ではない!!

たま「ありがとうございます。あのもうそろそろ・・・」

おっさん「そうだね、稽古の途中だもんね。いや邪魔して悪かったね。兄ちゃんも、いい歌うたってよ。たのんだよ。」

・・・なんでやねん。なんで『落語家』に『良い歌をうたうこと』を望むねん。ほんま訳わからんおっさんやった・・・。
(このときも疲れたが、この文章を書込むのも疲れた。・・・ちょっとシメは江戸前ギャグやな・・・。)
■■地下鉄御堂筋線にて「その1・その2」(2000/12/20)

私は外出するとき、たいていネタをくります。
(ネタをくる=落語の稽古をする)ぶつぶつ言いながら、町を闊歩しているわけですが、電車内でもぶつぶつ言います。(私はすぐわれを忘れるほうで、すぐ大きな声になります。)
地下鉄御堂筋線にて・・・。
私がぶつぶつ言っていると、あるサラリーマンのオッチャンが、「兄ちゃん、落研(落語研究会)か?」
・・・プロやっちゅうねん!!
それから数日後、地下鉄御堂筋線にて私がぶつぶつ言っていると、別のサラリーマンのオッチャンが「兄ちゃん、落語家やろ」
・・・おっ!やっと「プロ」に見えたんやなあ思たら、そのオッチャンがすかさず、「兄ちゃん、間ァ悪いで。」
・・・やかましわ!!ネタ覚えてるときは台詞が出てけえへんねん!!
■■津軽三味線のコンサート(2000/12/15)

今日、津軽三味線のコンサートにいった。(今世紀最後の名人といわれる山田千里算のコンサート)山田千里さんのお弟子さん達も演奏をし、ナレーター(?)が影アナで、お弟子さん1人1人に 色んな質問をしていた。

ナレーター「○○さんは、リンゴ作りもなさっていますが、そのリンゴはおいしいですか?」

○○さん「うまいかっつわれても、○×△▼〜*・・・・(関西人には理解不能なデーィプな津軽弁)」

ナレーター「そうですか、ありがとうございます。」

おいおい、通訳してくれ。何言うてんのかさっぱりわからんぞ。
このコンサートでは、リンゴ作りを兼業でやってる演奏家と、山田千里さんの津軽弁が終始、理解不能だった。しかし、山田千里さんが「○○こっか。」みたいな語尾をつけると、観客は大拍手でこたえる・・・何も解らずに・・・ええんか、それで・・・。
私は一瞬、この千里さんが「今の俺の三味線はあんまり良くなかった」みたいな発言してたらどうすんねん・・・と心配した。今日は本当に「日記」でごめんなさい・・・。

追記:12月29日(金)午後6:30より茶臼山舞台で「年末緊急落語会」を開催いたします。
よかったら来てください。(詳しくは「たまBBS」で。) 許可が得られれば、「長沢さん列伝」みたいなことを少し、「まくら」でやれたらなあ・・・と思います。